- 大阪マラソンで考える
“SDGsとチャリティ”
持続可能なより良い社会の
実現に向けて
パラリンピックメダリスト 和田伸也選手
/ ガイドランナーの長谷部匠選手編
2023年の大阪マラソンでは、関西大学社会学部・劉雪雁ゼミの学生が、
「大阪マラソンで考える“SDGsとチャリティ”」をテーマにさまざまな人たちを取材する取り組みを実施。
持続可能なより良い社会の実現に向けて何ができるのかを考えます。
全4回シリーズの第3回目は東京2020パラリンピック競技大会で、1500m(T11)で銀メダル、5000m(T11)で銅メダルを獲得した和田伸也選手(写真右)とガイドランナーの長谷部匠選手(写真左)に、SDGsゴール3「すべての人に健康と福祉を」、SDGs10「人や国の不平等をなくそう」などをテーマにお話をうかがいました。
目が不自由になってから10年ほど経ったころ、ガイドランナーの存在を知り、ジョギングを始めた
マラソンとの出会いを教えてください。
私は小学校の時からサッカー、中学・高校生の時はラグビーをしていたので球技系のスポーツは好きでしたが、陸上の経験はありませんでした。網膜色素変性症という厚生労働省の難病特定疾患に罹って、大学3年生のときに視力を失いました。通学すらままならない不安な生活を過ごし、スポーツからも縁遠くなってしまいました。
目が不自由になってから10年ほど経ったころ、仕事も落ち着き心にゆとりが持てるようになり、体を動かしてみたいなと思いました。当時はパラリンピックの種目すら知らず、目が不自由になって球技ができるという想像もできませんでした。そのため、まずは歩く延長線上で走ることができるかなと思いました。視覚障がいをもつ市民ランナーの方にガイドランナーの存在を紹介してもらい、京都の「賀茂川パートナーズ」というジョギングを楽しむ会に参加しました。体がなまっていたためすぐに筋肉痛になりましたが、通ううちにどんどん走れるようになりました。その後、初めて出場した「福知山マラソン」で完走したことで、趣味としてマラソンにのめり込んでいきました。
東京大会は競技人生で最重要視していた大会。大会後、伴走者の仲間や応援してくれた方々の輪が広がった
東京2020パラリンピックに出場した感想と、大会後に感じた変化があれば教えてください。
パラリンピックには、2012年ロンドン、2016年リオ、そして2021年東京の3大会に出場しています。競技者としてパラリンピックは4年に一度の最高峰の大会であり、ここでメダルをとることに価値があると思っています。特に2021年東京大会は国民の皆さんの注目度が高く、ロンドン、リオと比べるとマスコミの注目度も違いました。東京大会は競技人生で最重要視していた大会だったため、気合いが入っていました。そういう具体的な大きい目標があることで、普段のトレーニングへ打ち込む姿勢も変わってくるため、良い経験だったなと思います。
変化といえば、大会を経るごとに協力してくれるガイドランナーの方が増えてきており、伴走者の仲間や応援してくださる方々の輪が広がっているように感じます。私は東京大会で2つのメダルを取ることができましたが、これは私1人の力だけでなく、いろいろな練習で伴走してくれる市民ランナーの方々、応援してくださる皆さんのおかげです。仲間の輪にも恵まれ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
競技者としてより高いレベルを追求することと、支えてくれた多くの方々へ恩返しすることが、走ることの原動力
和田選手にとって走ることの原動力は何ですか?
大学生時代に目が不自由になり、それまで続けていた部活を辞めないといけない悔しさなどから元気がなくなっていました。しかし、走ることに出会えて私の人生は大きく変わりました。周囲から心を閉ざし塞ぎ込んでいた状態から、心身ともに元気になり多くの仲間とも出会えました。
競技者として走るようになってからは、タイムを追求してより高いレベルの自己ベストを目指し、トラック競技にも挑戦しました。メダルを取りたいという大きな目標が原動力になっています。
もうひとつはガイドランナーの存在ですね。レースでガイドをしている長谷部選手や普段のポイント練やジョギングでガイドしてくれる市民ランナーの方など、私の練習を繋いでいってくれる多くのガイドランナーがいることで今の走力があります。自分のためでもありますが、そういった方たちへの恩返しの意味で走っています。そのため、ちょっとやそっとでは諦められないですね。私の走力の裏には皆さんの力や応援が込められていて、それが原動力になっています。
伴走ロープを持つ責任感。選手のパフォーマンスを最大限に発揮させてあげたい
和田選手とガイドランナーの長谷部選手との信頼関係はどのように構築されたのですか。
長谷部さんと知り合ったのは2019年。彼は市民ランナーとしてはあり得ないほどの素晴らしい記録を数々と叩き出していました。ガイドランナーは走りながらレース状況を説明しなくてはならないので、自分の走りに一杯一杯になるだけではなく、余裕が要ります。走るのが早かった長谷部さんに頼んでみたら、目の見えない人と初めて会ったのに、「伴走いいよ」とすんなりと引き受けてくれました。初めてのことをやる時に勇気が必要で、やろうとする時一歩目が大変なのに、とてもスムーズにスタートできた長谷部選手は伴走者としてのセンスがあります。
全盲の私は長谷部さんの声かけを信頼して走らないといけないので、練習時からこういう情報を言ってほしい、注意してほしいと、指示を具体的にしてもらい、レース前には作戦会議をして、信頼関係を構築してきました。
陸上競技者として必要な情報を分かりやすく言うなど、見えていることを具体的に伝えることが大事です。例えば距離を数値化し、あと何メートルなのかとか。試合中や練習中だけではなく、出かける時やレストランで食事する日など、普段からも見たものを伝えるように心がけています。
市民ランナーとして走った時と、ガイドランナーとして走った時の違いを教えてください。
市民ランナーとして走った時は、個人の趣味程度だから、自分が辛かったり、コンディションがあまり良くなければ、諦めてしまうこともあります。しかし、ガイドランナーであれば、自分だけの記録ではなく、選手のパフォーマンスを最大限に発揮させてあげないといけないから、自分が体調を崩したり、しんどいからと言ってやめることはできません。
マラソンは健常者と障がい者が切磋琢磨しあえるスポーツ
パラスポーツをもっと普及させるためには何が必要ですか。
もっと多く認知してもらうことで普及につながります。健常者とパラアスリートが一緒に競い合うイベントなど、触れ合う機会が必要です。コツコツとそういう取り組みを行い、障がい者と健常者の壁をなくしていき、パラ競技の奥深さを知ってもらう。お互いに相乗効果もあります。
一方、パラアスリートも競技者としてストイックに金メダルを目指し、競技力を向上させていく必要があります。一般の方もすごいなと思ってもらえるレベルを追求することです。パラリンピックの競技性をもっと高めることで、注目もしてもらえます。
和田選手、長谷部選手の今後の目標を教えてください。
これからもタイムを追求して、今年7月のパリ世界パラ陸上、2024年5月の神戸世界パラ陸上で1500m・5000mの両種目での金メダルをめざしています。そして、パリ・パラリンピックで、パラリンピック初の金メダルを目指しています!
将来的にはパリ・パラリンピック大会が終わっても走り続けて、人生が続く限り走り続けることです。引退する日がいつか来るのですが、引退してからも走り続けて、陸上やマラソンに恩返しできるような走りをして、パラスポーツの普及につなげていきたいです。
伴走者の余裕がないとダメなので、私自身もパワーアップしていき、和田選手が金メダル獲得できるように頑張りたいです。
大阪マラソンに出場される皆さんへの応援メッセージをお願いします。
記録を狙えるいいコースだと思いますので、苦しい場面でも最後まで諦めずに、自分に打ち勝って、自己記録更新を目指して頑張ってください。私も全力で駆け抜けます!!ともにがんばりましょう!
「ブラボー!」な記録を目指して一緒にがんばりましょう!
【プロフィール】
和田伸也選手
1977年生まれ。大阪府出身の陸上競技(視覚障がい)の選手。
高校2年生の時に網膜色素変性症と診断され、関西大学在学中の3年生のときに視力を失う。
28歳から本格的に陸上競技を始め、2009年度から日本ブラインドマラソン協会強化指定選手に。
T11クラスのマラソン(フルマラソンおよびハーフ通過タイム)の世界記録、10000m・1500m・800mでアジア記録を保持。
長谷部匠選手
1997年生まれ。京都府出身の陸上選手・ガイドランナー。
和田伸也選手とともに東京2020パラリンピック競技大会に出場し、和田伸也選手の1500m T11 銀メダル、5000m T11 銅メダル、マラソン 9位(T11 パラリンピック記録)に貢献。
<取材担当学生:池松真里・宮地あおい>